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FC業界の著名人|ココイチ社長の宗次徳二の経歴は?

FC業界の著名人|ココイチ社長の宗次徳二の経歴は?

カレーチェーン店と言えばやはり「ココイチ」が有名ですが、そのココイチの元社長であり創業者でもある宗次徳二さんはかなり壮絶な経歴を持っています。

生まれてすぐに孤児院に預けられ貧困生活を送るなど辛い幼少期を過ごしますが、地道な努力の末不動産業を開業、その後副業として喫茶店を始め最終的に現在の「ココイチ」を創業しました。

幼少期は貧乏だったものの自分のためにお金を使うことはほとんど無く、小中学校に寄付するなどお金に対する価値観も尊敬すべきところがある方です。

現在ココイチを営業している株式会社壱番屋はハウス食品グループの子会社となっており、宗次徳二さんは会長を引退しています。

今回は、そんなココイチの創業者、宗次徳二さんのプロフィールや経歴について詳しく解説していきたいと思います。

【ココイチ】木村清元会長のプロフィール

名前 宗次徳二(むねつぐ とくじ)
役職 元株式会社壱番屋代表取締役会長
生年月日 1948年10月14日
出身地 石川県
出身校 県立小牧高等学校商業科

ココイチの元社長、宗次徳二さんは戸籍上は1948年に石川県で生まれたということになっています。

というのも生まれてすぐに兵庫県尼崎市の孤児院に預けられてしまったため、両親が誰なのかもわかっていません。

幼少期は養父母のもとで過ごしますが極貧生活で、養父はパチンコにばかり行き養父から虐待を受けるなど、かなり壮絶な幼少期を送っています。

現在はNPO法人で活動中

現在ココイチは全国で1000店以上を経営するようになり宗次徳二さんも莫大な資産を持ってはいるものの、980円のシャツを愛用するなど高級品には全く興味がありません。

その上、現在はイエロー・エンジェルというNPO法人を設立し学生に対する奨学金やスポーツや音楽への支援にお金を使うなど、世の中のためにお金を使い続けています。

普通の感覚ならお金があれば高級なお店を利用してみたくなるところですが、贅沢は全くせず惜しみなく寄付できるのは本当に尊敬できるところですね。

高校生の時にクラシック音楽を聞いて以来音楽好きになったため、支援や寄付も音楽に関わるものを中心に行っています。

なんと28億円もかけて「宗次ホール」というコンサートホールを建て定期的にコンサートを開催したり、小中学校の吹奏楽部に楽器を寄付する活動も行っています。

妻は大和ハウス工業に勤めていた時の同僚である宗次直美さんで、直美さんもココイチの会長などを務めていました。

そもそもココイチを始めたのは、ココイチの前身である喫茶店で直美さんが作ったカレーが評判だったからで、ある意味もう1人の創業者と言っても過言ではありません。

また、息子さんである宗次弘章さんはプロゴルファーとして活躍しています。

宗次徳二さんの経歴

宗次徳二さんは1948年に生まれてすぐ兵庫県尼崎市の孤児院に預けられてしまい両親も誰かわかりませんでしたが、3歳の時に養父母に引き取られ「宗次」となりました。

養父母は雑貨屋を営んでいたものの養父が競輪やパチンコばかりしていたためお金が無くなってしまい、幼少期は極貧生活を送っていたと宗次徳二さんは語っています。

お金が無くなってしまったことで家賃も払えなくなってしまったため、ろうそくで明かりを確保したり廃屋で生活するときもありました。

時には食べるものに困り雑草を口にすることもあったと言います。

それに加えて養父から虐待を受けることもあり、かなり壮絶な幼少期を過ごしていたようです。

それでも宗次徳二さんは決して養父を恨んだりするようなことはせず、むしろ養父に喜んでもらえるようなことをしていました。

アルバイトで学費を稼ぎながら高校を卒業、不動産業で独立

宗次徳二さんが高校一年生、15歳の時に養父が胃がんで亡くなってしまったため、いままで別居していた養母と暮らすことになります。

生活は依然苦しかったため、同級生の父親が営んでいる豆腐やでアルバイトをしながら高校への通学を続け、最終的に1967年に県立小牧高等学校商業科を卒業しました。

同じ年の4月には不動産業を営む八洲開発株式会社に就職、しばらく働いた後に1970年2月に大和ハウス工業株式会社に転職します。

大和ハウス工業株式会社では妻の直美さんと出会い結婚、1973年には不動産仲介業者の岩倉沿線土地を開業します。

このように宗次徳二さんは最初から飲食業界で働いていたわけではなく、不動産関係の仕事を通じて独立していたのです。

開業した喫茶店が好評、飲食業の道へ

しかし、この不動産業はそこまで収入が安定していないため、副業として喫茶店「バッカス」を開業させました。

この喫茶店が思っていたよりも好評で、開店初日から既にお客さんが入るようになったため、宗次徳二さんは不動産業界ではなく飲食業界で生きていくことを決意します。

経営は順調に続き1975年には2店目の「浮野亭」を開業します。浮野亭はコーヒー専門店でしたが妻の直美さんが作ったカレーが好評だったことから、今度はカレー専門店を開くことにしました。

そうして1978年に「カレーハウスCoCo壱番屋」を創業します。これが現在の「ココイチ」の1号店です。

最初こそ順調とは言えない経営でしたが、段々と売上を伸ばし店舗数も増えていきます。

そのため1982年には株式会社壱番屋を設立、代表取締役社長に就任しました。

その後は順調に店舗数を増やし1998年には代表取締役会長に就任しますが、なんと2002年には会長の座を退いてしまいます。

このときまだ宗次徳二さんは50代前半だったことを考えると、引退は異例の速さと言えるでしょう。

現在はNPO法人イエロー・エンジェルを立ち上げ、壱番屋で稼いだお金を積極的に寄付や支援に使っています。

「ココイチ」のフランチャイズ戦略

ココイチの店舗数は創業開始から着実に数を増やしており、2020年現在では1500近い店舗数になっています。

ただ、やはりフランチャイズ経営で心配なのは経営方法や理念がしっかりと受け継がれているのか、という部分です。

ココイチも最初はフランチャイズの加盟店と直営店の間で差ができてしまったのが悩みだったそうです。

そうした問題を解決するためにココイチが導入したのが「ブルームシステム」です。

これはいわゆる「のれん分け」のシステムに近いもので、ココイチの店舗勤務で十分に経験を積んだ人をフランチャイズ加盟店のオーナーとして独立させる、というものでした。

このような方法を取ることで、単にココイチで仕事ができるというだけでなく、ココイチの理念をしっかりと理解している人をオーナーにすることができます。

もともと宗次徳二さんはお客さんに喜んでもらえることを第一としており、現在どのココイチの店舗でもこの理念が受け継がれているのはブルームシステムのおかげといえるでしょう。

「ココイチ」元社長、宗次徳二さんの経歴まとめ

ココイチの創業者である宗次徳二さんは極貧生活を送るなど厳しい幼少期を過ごしましたが、真面目な努力を続けた結果ココイチは現在1500近い店舗数を持つまでに成長しました。

フランチャイズで成功したのも「ブルームシステム」という方法を導入しているためで、宗次徳二さんの理念は今でもしっかりと受け継がれています。

現在は既に引退しているものの、ココイチで稼いだお金は自分のためではなく積極的に支援や寄付を行っているようです。

ブルームシステムでのフランチャイズが、今後どこまで店舗数を伸ばしていけるのかには注目です。

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